【エッセイ】ひと目見るだけではそのよさがわからない表現の形式としての小説
芸術の中でも、絵はひと目見ればそのよさがわかる。もちろんよく見ればもっとわかる。
視覚的な表現は、そのよさを見る人にわからせるためのハードルが低い。
たいして、小説などの文章表現は、ひと目見ただけではただのなんらかの記号の集合でしかない。ひと目見ただけでは、そのよさはわからない。
文章という表現形態では、ちゃんと読んでもらわなければ、そのよさはわかってもらえない。
これが、たとえばSNSなどで、イラストの方が圧倒的にシェアされ、小説はどんな有名な作家の書いたものでも、ほとんどシェアされない理由である。
しかし、ツイッターは140文字の字数制限があり、投稿された文章の中には非常に多くのシェアをされるものがある。
現代において、文章表現がそのよさをわかってもらえるための判断基準は、この字数制限にある。
ひとはもはや長い文章を読む気がない。
そもそも読む気がないので
読むとしてもせめてごく短い文章しか読む気がないのである。
少なくとも読まれないとよさはわかられない。
絵が見ればわかるものであるのに対して
小説などの文章が読まれなければよさをわかってもらえる可能性すらないのであるからには、
まずは文章を読めない現代人に少しは読もうとする気にさせるための前提条件をクリアする必要があるのである。