【短編小説】『呪文』

 

タカハシくんはノートの端にいつもなにやら見たこともないような文字を書いていた。それから数学の授業でも見たこともないなんらかの図形も。

放課後の帰り道で僕がタカハシくんにいつもタカハシくんはなにを書いているのと聞くとタカハシくんは言った。

「あー、あれは呪文だよ、呪文」

「じゅもん、ってなに?」

「呪文は呪文だよ。あれが完成したら悪魔が出てきてなんでも叶えてくれるんだ。今日書いてたのは、死後の世界への門を通過する時に必要な呪文だよ」

「しごのせかい?」

「死後の世界はね、みんな一人で行かなきゃいけないんだよ。お父さんもお母さんもいないんだよ。だからこわい怪物たちから身を守る呪文が必要なの」

僕はタカハシくんってちょっと変わってるなと思いながら、話を流行りの格闘ゲームでどのキャラが最強かという話題に変えた。タカハシくんは魔術師のおじいさんのキャラが好きみたいだった。

タカハシくんの大きな家の前でタカハシくんと別れてその日はふつうに帰ってお母さんが作ってくれたハンバーグを食べた。お母さんのハンバーグは世界一だ。ごはんをおかわりしてお風呂に入って、ビールを飲みながらテレビを見てるお父さんにおやすみなさいと言って、寝た。

 

翌日からタカハシくんは学校に来なくなった。先生はタカハシくんの家に電話をしても誰も出ない、玄関のチャイムを鳴らしてもなんの反応もないと言っていた。

一週間もすればみんなタカハシくんのことは忘れた。もともとタカハシくんはいてもいなくても変わらないような影の薄い存在だったから。

でも僕だけはタカハシくんのことをどうしても忘れることができなかった。

タカハシくんがいなくなってから半年が過ぎたすごく寒い日の帰り道に僕はふと思い立ってタカハシくんの家に行ってみることにした。

もしかしたらタカハシくんがまだそこにいるかもしれない。また一緒にゲームして遊べるかもしれないと信じて僕はタカハシくんの家の玄関のチャイムを鳴らした。

 

三回くらい玄関のチャイムを鳴らしてもなんの反応もなかったから僕があきらめて帰ろうとした時、タカハシくんの家の玄関が音もなくゆっくりと開いた。

そこには誰もいなかった。

僕はなんだか怖くなって逃げ出したい気持ちになったけど、自分でもよくわからないうちにタカハシくんの家の玄関の中に入っていた。

「おじゃましまーす。タカハシくんいますかー?」

やっぱりなんの反応もない。それ以上先に進むのも悪い気がしたし、それに怖かったから帰ろうと思って玄関の方を振り向くと急に後ろから肩をつかまれた。

タカハシくんだった。

 

それはたしかにどう見てもタカハシくんだったけど、なにかがタカハシくんとは違う気がした。なにかが違う。でもやっぱりタカハシくんだ。

考えてもよくわからなかったし、黙っているのも気まずかったからとにかくなにか言わなきゃと思って言った。

「タカハシくん、みんな心配してるよ。急に学校に来なくなって、いったいどうしたの?」

タカハシくんはうつむきながら小さな声で答えた。

「ちょっと病気になっちゃってて。いまお父さんとお母さんはお薬買いに行ってて帰ってこないから暇なんだ」

「そっか、大変だったんだね。急に来ちゃってごめんね。もう帰るから、お大事にね」

目の前のタカハシくんがタカハシくんじゃない気がしていて怖かったからもう帰ろうと思ってそう言ったけど、タカハシくんは急にいつものタカハシくんの感じに戻って言った。

「ううん、いいよ、来てくれてありがとう。ちょっとゲームしていかない?新作のやつこないだ買ってもらったから」

タカハシくんはいつも最新のゲームを持っていて、僕がタカハシくんとよく遊んでいたのはそれが理由だったかもしれなかった。タカハシくんは、いいやつだ。
 

お母さんの声で目が覚めると僕は僕の家にいた。お父さんとお母さんと一緒に朝ごはんを食べながら、さっきまでタカハシくんの家でタカハシくんと一緒にゲームをしていたのになんで家にいるんだろうと僕は不思議に思った。

もしかしたら夢だったのかもしれない。すごくタカハシくんに会いたかったから、きっと夢に見たんだと僕は思った。

学校に行く支度をして玄関のドアを開けて外に出た。いつも通りお父さんとお母さんが僕が出かけるのを玄関先で見送ってくれた。

僕に向かって手を振るお父さんとお母さんを見ていたら、突然なにかが違う気がした。

なんだかお父さんとお母さんの笑顔がいつもと違う気がする。いつもはもっと優しくてあったかい感じがするのに今日はなにかが違う。まるで、笑ってるのに笑ってないみたいな、そんな感じ。

背中が震えるような寒気がしたから、目をつぶって頭をぶるぶると降った。もう一度お父さんとお母さんの方を見ると、玄関にはもうお父さんとお母さんはいなくなっていた。

そこにはタカハシくんがいた。

タカハシくんは僕に手を振りながら小さな声でこう言った。

「気をつけて、行ってらっしゃい」