Frequently Asked Questions

よくあるご質問

哲学

『勉強の哲学 来るべきバカのために』千葉雅也

1、言語偏重になること 勉強は、これまでの「ノリ」から自由になるための自己破壊的な行為。 「ノリ」=同調圧力=環境のコード=他者関係 有限性とつきあいながら、自由になる。 環境のコードは強制的な事態。なんとなくそれを生きてしまっている状態。言語…

『ありそうもないこと』イヴ・ボヌフォワ

イヴ・ボヌフォワは言う。概念という哲学の唯一の道具が現実を定義する時、現実は息をしなくなる。哲学は生を捉え損ね、また、死から逃避する。哲学は現実を見て見ぬ振りをしながら、定義に置き換えてごまかし続ける。 あの山頂の空気、湖畔の朝に水面に反射…

千葉雅也『勉強の哲学 来るべきバカのために』

基本的には直線によって進行しているその直線の進行方向をそらすこと。別の仕方であることに生成変化すること。それは行動を決定する概念のアレンジメントを変えることによって可能となる。いわゆる逃走線だ。戦争機械でもある。逃走線を描く者というのは、…

『テクストの楽しみ』ロラン・バルト

あなたが書くテクストは、それが私を欲望する証拠を私に与えてくれなくてはならない。p12 読むことの楽しみはあきらかに、ある種の決裂から生まれる(あるいは、ある種の衝突から)。p13 文化やその破壊がエロティックになるのではない。エロティックになる…

『ロラン・バルト 言語を愛し恐れつづけた批評家』石川美子

ロラン・バルトはなにがしたかったのか?権威主義的なもの、多数派、単一性、そういうものが嫌いだっただろう。たいして繊細なもの、少数派、複数性、そういうものが好きだっただろう。 作者の死を持ち出すまでもなく、解釈の多様性の側に立つこと。言葉を権…

21世紀を代表する思想家バズ・オズボーン──「ヘヴィネス(重さ)」と「スローネス(遅さ)」の哲学

バズ・オズボーン 『有限性の後で』で有名な思弁的実在論の中心人物クァンタン・メイヤスーや、カント思想を軸に思弁的実在論に異議を唱える『神話・狂気・哄笑』のマルクス・ガブリエル、その他(その他は本当に「その他」でまとめてしまってかまわないほど…

『一般意志2.0ーールソー、フロイト、グーグル』東浩紀

人民全員でひとつの意志を形成すること(一般意志)は、ルソーの構想においては、必ずしも人民全員で政府を運営すること(民主主義)に繋がらない。彼にとって重要なのは、国民の総意が主権を構成していること(国民主権)、ただそれだけなのであり、その主権が具…

『社会契約論ーーホッブズ、ヒューム、ルソー、ロールズ』重田園江

フレンドリーな文体 著者の重田園江はミシェル・フーコー研究者で、他の著作に『ミシェル・フーコーー近代を裏から読む』や『連帯の哲学Ⅰーーフランス社会連帯主義』などがある。どの著作も文体がとてもいい感じなので下記いくつか引用する。 ホッブズは世界…

『ジル・ドゥルーズのアベセデール』ジル・ドゥルーズ

N(神経科学) …そのことについてはこう考えることにしている。 私は確信するのだが、同じものにも多様な読み方がありうる。もちろん「哲学」からしてそうだ。 哲学書を読むのに哲学者である必要はない。 哲学書は二通りの仕方で読むことが可能だ。いや必要…

いまここにしか存在できないことについてーー空間限定的存在としての人間、その絶望

キルケゴールの「あれか/これか」という実存的選択の不可避性(=実存的選択の強制)がある。ドゥルーズ的な「宙吊り」また、それを発展させた千葉雅也の「中間痴態」の態度、は現実の場においては必ず崩れ去る。現実の場においては「未決定性」も「並行的選…

『死に至る病』ゼーレン・キルケゴール

死に至る病とは絶望のことである 死に至る病とは絶望のことである。絶望している人は瞬間ごとに絶望を自分に引き寄せている。絶望は関係にたいする関係の病だから、その責任はつねにそのひと自身の関係づけにある。絶望は死にたいけど死ねないのくり返しであ…

『プルーストとシーニューー文学機械としての「失われた時を求めて」』ジル・ドゥルーズ

思考を強制するもの 思考には「思考を強制するもの」との出会いが必要である。科学でも哲学でも芸術でも、生まれつきア・プリオリに思考する対象が選択・決定されているわけではない。数学の定理を発明するのも、哲学の概念を発明するのも、芸術の絵画を創作…

『弱いつながり 検索ワードを探す旅』東浩紀

統計的な人生を乗り越えるために 環境から統計的に予測されるだけの人生を乗り越えるためには、環境を変え、思いつくこと、〈欲望することそのものが変わる可能性〉に賭けるしかない。 「強い絆」と「弱い絆」 「強い絆」を築き環境の固定に向かっているネッ…

『借りの哲学』ナタリー・サルトゥー=ラジュ

贈与としての借り 「《贈与》が《借り》となり、その返却があらたな《贈与》となることで、《返礼を求めない贈与》(無償の愛)は時代を超えて受け継がれていく」(p22) 私たちは先行の世代や社会に「生まれながらの借り」があり、それを次世代の子供たちや…

『無人島 1953-1968 6 カフカ、セリーヌ、ポンジュの先駆者、ジャン=ジャック・ルソー』ジル・ドゥルーズ

邪悪さの優位 邪悪さは人間社会によって発生するもので、善良さと邪悪さという区別は、ア・プリオリに存在する真実ではなく、人間社会によってア・ポステリオリに作られた虚構の産物だと言う。 ルソーは、邪悪さは人間社会のなかでも、とくに抑圧的な利害関…

「それはかつてあった」ということ/『明るい部屋 写真についての覚書』ロラン・バルト

写真には、対象がかつてそこにあったという確実性がある。 写真には、見るものによって、社会的教養としての見かたと、心の傷をつき刺すものとしての見かたとがある。 そういうふうに分類してはみたものの、バルトは本の半分くらいのところで分析をやめてし…

やっつけ仕事の職人/『カント哲学』ジャン・ラクロワ

概念の職人 カントほど概念という道具の利用に長けた哲学者はなかなかいない。感性、悟性、理性、現象と物自体、ア・プリオリとア・ポステリオリ、超越論的、定言命法ーーカントはまるでパン職人がパンをこねるように熟練の手つきで概念を操作する。 自分な…

退屈の解決策について3/3 退屈の根本的な解決策へ / 『暇と退屈の倫理学』國分功一郎

「不法侵入」してくるものに「とりさらわれ」ることを「待ち構える」ことーーが、〈動物になること〉で、それは、退屈を解決する受動的な方法である、と言ったが、全く何をする気も起きないほど退屈している人は別として、実はこれはある種の能動的な姿勢が…

退屈の解決策について2/3 能動的な解決策と受動的な解決策 / 『暇と退屈の倫理学』國分功一郎

退屈の解決策として、前回の結論である ・「退屈と気晴らしを行ったり来たり」し、「気晴らしを楽しむために訓練する」こと ・「現存在の可能性を実現する決断に向かう」こと は、行ったり来たりしたり+訓練したり、決断したり、と、どちらも退屈を解決する…

退屈の解決策について1/3 決断主義と気晴らしの洗練 / 『暇と退屈の倫理学』國分功一郎

國分功一郎の本(『暇と退屈の倫理学』)を読んだら、ハイデガーは退屈を三つに分けて考えたということが書いてあった。 その中でもっとも根源的な退屈である退屈の第三形式をあらわす言葉が、 「なんとなく退屈だ」 だという。どこで何をしているかに関わらず…