Fleur Aux Questions

よくあるご質問

哲学

石川美子『ロラン・バルト 言語を愛し恐れつづけた批評家』

★ ロラン・バルトはなにがしたかった のか?権威主義的なもの、多数派、 単一性、そういうものが嫌いだった だろう。たいして繊細なもの、少数 派、複数性、そういうものが好きだ っただろう。 作者の死を持ち出すまでもなく、解 釈の多様性の側に立つこと。…

21世紀を代表する思想家バズ・オズボーン──「ヘヴィネス(重さ)」と「スローネス(遅さ)」の哲学

★ 『有限性の後で』で有名な思弁的実在論の中心人物クァンタン・メイヤスーや、カント思想を軸に思弁的実在論に異議を唱える『神話・狂気・哄笑』のマルクス・ガブリエル、その他(その他は本当に「その他」でまとめてしまってかまわないほどとるにたりない)…

東浩紀『一般意志2.0ーールソー、フロイト、グーグル』

★ 人民全員でひとつの意志を形成すること(一般意志)は、ルソーの構想においては、必ずしも人民全員で政府を運営すること(民主主義)に繋がらない。彼にとって重要なのは、国民の総意が主権を構成していること(国民主権)、ただそれだけなのであり、その主権が…

重田園江『社会契約論ーーホッブズ、ヒューム、ルソー、ロールズ』──素朴な疑問を哲学者にぶつけてみること

★ 著者の重田園江はミシェル・ フーコー研究者で、他の著作 に『ミシェル・フーコーー近 代を裏から読む』や『連帯の 哲学Ⅰーーフランス社会連帯主 義』などがある。どの著作も 文体がとてもいい感じなので 下記いくつか引用する。 ホッブズは世界を、個人よ…

ジル・ドゥルーズ『ジル・ドゥルーズのアベセデール』N(神経科学)

★ …そのことについてはこう考えることにしている。私は確信するのだが、同じものにも多様な読み方がありうる。もちろん「哲学」からしてそうだ。 哲学書を読むのに哲学者である必要はない。哲学書は二通りの仕方で読むことが可能だ。いや必要だ。非哲学的に…

ジル・ドゥルーズ『プルーストとシーニューー文学機械としての「失われた時を求めて」』

★ 思考には「思考を強制するもの」との出会いが必要である。科学でも哲学でも芸術でも、生まれつきア・プリオリに思考する対象が選択・決定されているわけではない。数学の定理を発明するのも哲学の概念を発明するのも芸術の絵画を創作するのも、すべて「思…

東浩紀『弱いつながり 検索ワードを探す旅』必然と偶然ーー出会いと愛の観光旅行

★ 環境から統計的に予測されるだけの人生を 乗り越えるためには、環境を変え、思いつ くこと、〈欲望することそのものが変わる 可能性〉に賭けるしかない。 「強い絆」を築き環境の固定に向かってい るネットを、環境を変える「弱い絆」に満 ちたリアルによ…

ナタリー・サルトゥー=ラジュ『借りの哲学』必ずしもすべてを返さなくてもいい《借り》について

★ 《贈与》が《借り》となり、その返却があらたな《贈与》となることで、《返礼を求めない贈与》(無償の愛)は時代を超えて受け継がれていく。p22 私たちは先行の世代や社会に「生まれなが らの借り」があり、それを次世代の子供た ちやその社会に返してい…

ジル・ドゥルーズ『無人島 1953-1968』6 カフカ、セリーヌ、ポンジュの先駆者、ジャン=ジャック・ルソー

★ 邪悪さは人間社会によって発生 するもので、善良さと邪悪さと いう区別は、ア・プリオリに存 在する真実ではなく、人間社会 によってア・ポステリオリに作 られた虚構の産物だと言う。 ルソーは、邪悪さは人間社会の なかでも、とくに抑圧的な利害 関係か…

ロラン・バルト『明るい部屋 写真についての覚書』「それはかつてあった」ということ

写真には、対象がかつてそこにあったという確実性がある。 写真には、見るものによって、社会的教養としての見かたと、心の傷をつき刺すものとしての見かたとがある。 そういうふうに分類してはみたものの、バルトは本の半分くらいのところで分析をやめてし…

ジャン・ラクロワ『カント哲学』──目の前の道具を使って、何を作るのか

★ カントほど概念という道具の利用 に長けた哲学者はなかなかいない 。感性、悟性、理性、現象と物自 *職人に 体、ア・プリオリとア・ポステリ はつねに オリ、超越論的、定言命法…。カ 使い慣れ ントはまるでパン職人がパンをこ た秀逸な ねるように熟練の…

國分功一郎『暇と退屈の倫理学』③退屈の解決策について──退屈の根本的な解決策へ

「不法侵入」してくるものに「とりさらわれ」ることを「待ち構える」こと──が、〈動物になること〉で、それは、退屈を解決する受動的な方法である、と言ったが、全く何をする気も起きないほど退屈している人は別として、実はこれはある種の能動的な姿勢がな…

國分功一郎『暇と退屈の倫理学』②退屈の解決策について──能動的な解決策と受動的な解決策

退屈の解決策として、前回の結論である ・「退屈と気晴らしを行ったり来たり」し、「気晴らしを楽しむために訓練する」こと。 ・「現存在の可能性を実現する決断に向かう」こと。 は、行ったり来たりしたり+訓練したり、決断したり、と、どちらも退屈を解決…

國分功一郎『暇と退屈の倫理学』①退屈の解決策について

國分功一郎の本(『暇と退屈の倫理学』)を読んだら、ハイデガーは退屈を三つに分けて考えたということが書いてあった。 その中でもっとも根源的な退屈である退屈の第三形式をあらわす言葉が、 「なんとなく退屈だ」 だという。どこで何をしているかに関わらず…