【小説】『いつもの』

 

 

 

 

 

 

 

田中雄一が20年間欠かさず続けている週に一度の楽しみは、仕事帰りに行きつけのバーでウォッカを飲むことだった。

その日もいつもと変わらない仕事を終え、ちょうどよく疲れた身体を夜風に揺られながらバーに入り、いつも座る店の奥の端っこの席に座り、雄一はいつもの台詞を言った。

「マスター、いつもの」

この一言を言うことこそが雄一の唯一の楽しみだったとさえ我々は指摘することができる。

なぜなら雄一には、酒を共にし語り合える友達も、帰宅して安らぎの食卓を分かち合う家族も、誰一人としていなかったのだから。

 

行きつけのバーで、初老のマスターにいつものウォッカを注文し、なにも言わなくても自分の伝えたいことを分かってくれる人間がこの世に存在することを確かめることが、雄一にとってどれほどありがたいことだったかを思えば、第三者である我々が彼のことを嘲笑うことなどとてもできないだろう。

マスターはいつものように無言でウォッカを提供した。雄一はウォッカをストレートで飲む。ウォッカを飲む時、いつも雄一は空想の中で北欧の雪山の奥地にいるのだった。

 

雄一がウォッカをストレートで飲むようになったのは、とあるYouTuberの動画を見たことがきっかけであった。そのYouTuberは1964年生まれのノルウェー人で、車で雪山の奥地へ行き、そこに置いてある氷漬けの浴槽の表面を斧で砕いて全身を氷風呂に沈め、ウォッカを瓶のまま飲むという、ただそれだけの動画をひたすら投稿している普通の中年男性である。驚くべきことに、そのYouTuberの動画の再生回数は1000万回を超えており、ものによっては6000万回を超えているものさえあった。

「俺はいま雪山で氷漬けの浴槽に浸かり、ウォッカを飲んでいるんだ」

雄一はいつもそのように空想していた。

 

バーの店内にはいつもジャズが流れていた。それはマスターの厳選した通好みのレコードというわけではなく、ただのYouTubeのプレイリストだった。アメリカのポピュラーミュージックやロックをジャズアレンジした音楽である。それもまた雄一にとっては心地よいのであった。音楽マニア特有の押し付けがましさのない当たり障りのないたんなるプレイリストは、雄一のような仕事に疲れた孤独な者にとっては、荒んだ心を癒す最適な音楽であったのだろうと私は思う。

ビートルズニルヴァーナの独創的な音楽が、スムースなジャズに変換されることで、まるでこの世には感情の浮かれ騒ぎや苦しみの醜い叫びなど存在しないかのような気分にさせてくれるのだろう。

 

雄一が雪山から現実に戻り、決して広くはないバーの店内を見渡すと、2席隣に一人の女性が座っていた。その女性は薄いグリーンのワンピースを着ていて、濃い茶色の長い髪の隙間からエメラルドグリーンの大きめのイヤリングが見えた。表情はどこか物憂げで冷たい印象の中に一抹の寂しさの陰りのある瞳でほのかな他者の暖かさを求めるかのように目の前のカシスオレンジのグラスを見つめていた。

 

その女性を横目で見ていると、雄一は長い間忘れていた大切な何かを思い出すかのような気持ちになった。ウォッカの瓶を投げ捨てて、氷漬けの浴槽から出て、雪山を降り、人々のいる町に希望を抱きながら戻れるような兆しが、宗教的な啓示のように雄一の胸の奥底に閃いた。

雄一がまるで金縛りにあったかのように、ウォッカのグラスを握ったまま、氷漬けの浴槽から今にも踊り出すかのような身体の鼓動を必死に抑制し、喜びにも驚きにも似た言葉にできないわななきに密かにうち震えていると、その女性の隣の席に一人の男性が座った。

「やぁ、待たせてごめん。マスター、いつもの」

 

私は週末の趣味として一人で遠くまでドライブをする。

ある冬の日、群馬の日光の雪山の奥地まで行った時、険しい山奥に誰も行ったことのないような小道を見つけた。

車を止めて、小枝をかき分けながらその小道を歩いて行くと、その先には、薄暗い森が開けたところにまるで隠された秘密の場所のような凍った湖があった。

その湖の脇にはなぜか一つの浴槽が置いてあり、そこには一人の男が死んだまま凍っていた。

男の手には飲み干されたウォッカの瓶が握られていた。