【短編小説】『ある島の不可能性』第3話

  十五

 しばらく進むと道の脇に一軒の小屋があった。その小屋の色や形は空港にあった小屋と全く同じだった。薄汚れた木造の小屋、その錆びた鉄製のドアを開けると、中には一人の男がいた。男は色あせたチェックのシャツに色あせたブルーのデニムという装いで、まるでネバダ州の砂漠地帯にある寂れたバーで昼間から飲んだくれているかのように、ぼんやりとした目つきで何かを書いていた。

  十六

 「君がそうなのか」と男は言った。そうなのかとは何だ、どいつもこいつも回りくどい言い方で話しやがってと思ったが、あまりに弱々しく力のない男の声にむしろ憐れみのような感覚をおぼえながら、私は質問した。「あなたはここで何をしているのですか?」。「何をしているかって、それはむしろこっちが聞きたいね。それがわからないからこそ、ここでこうしているんじゃないか。だが、君が来てくれた。私はやっと解放される」。男はそう言うとおもむろに立ち上がり、部屋の奥にある梯子で上の階に消えて行った。私は男が座っていた半ば風化したテーブルのところまで歩き、茶色く変色した1枚の紙を見た。

  十七

 Dear S

 君の小屋はどこだ
 君が寝て、君が起きる
 そして、君の知らない君が
 やがて住むだろう
 それは一つではない
 だが、二つ以上ある
 君も一つではない
 君の小屋も、君も
 君の知らない君もまた

          Love
          es

  十八
 
 君の小屋はどこだと言われても、ここに私の小屋はどこにもない。こんな森の奥にある薄汚れた小屋に住みたくもないし、空港にあった赤ちゃんのいる小屋にだって住みたくはない。私の小屋はどこにある?日本に帰れば1LDKの部屋がある。お気に入りの家具を揃えた居心地のいい部屋だ。部屋は小屋だろうか?部屋が小屋だとしたら、私の小屋は日本にある。考えても何かが分かる気がしなかったので、私は少しでもヒントを得ようと、部屋の奥の梯子を登り、上の階にいる男のところへ行くことにした。

  十九

 梯子を登り天井の蓋を外すと、屋根裏部屋のような空間があるかと思っていたが、そこは屋根裏部屋ではなかった。そこは、前方からたえず虹色の激しい光線が放射するまっすぐな直線的空間だった。私は眩しくて腕で目を覆ったが、やがてその光にも慣れてきた。覆っていた腕を下ろして目を細めながら前方を見ると、さっきの男が肉体をばらばらに分散してそこにいた。

  二十

 「おうい、君か!」さっきよりだいぶ力強い声で男はそう言った。「ありがとう!君のおかげで僕は解放されたよ。ありがとう!ありがとう!」。男はほとんど絶叫するようにそう言うとそのまま虹色の激しい光線が差してくる方へと進んで行った。男の肉体は光線に近づけば近づくほどさらにばらばらになって、ついには目で知覚することができないほどの小ささにまで分割されて、霧散した。男の肉体はもはや見えなくなったが、「ありがとう!ありがとう!」という声はいつまでも反響していた。

  二十一

 虹色の光線を浴びているうちに体が内側から痛くなってきたので、私は急いで下の部屋へと戻り天井の蓋を閉めた。まだかすかに聞こえていた男の声もやがて消え、聞こえるのは燃える暖炉で木がぱちぱちとはじける音だけになった。森に入ってから何時間が過ぎただろうか。私はとても疲れきっていたので、椅子に座って少し仮眠をとることにした。入社したての頃に「仕事の秘訣は、眠れる時に寝ておくことだよ」と上司が言っていたことを思い出した。

  二十二

 窓から差し込む朝日に目を覚ました時には暖炉の火は燃え尽き、上の階につながる天井の蓋も消えていた。部屋の中から家具以外のあらゆるものが消えていて、詩の書かれた手紙だけが残っていた。まあそういうことだろう、と私は思った。見たままのそれが事実なのだ。その背後に陰謀や隠された意図を探ることにはほとんど意味がない。私は仕事が好きだ。仕事には事実しかないからだ。今の私にとっての仕事は、とにかく先へと進むこと。それだけだ。

  二十三

 小屋を出るとそこは朝の森だった。小鳥のさえずりが聞こえ、空気は澄み渡っている。道の先を見ると小屋から1kmほど向こうに、なにかの施設が見えた。どうやらあれが今回の出張における職場だろうと私は思った。若い頃にやったゾンビゲームの研究施設のような不気味な雰囲気もあったが、まあとりあえず行ってみるしかない。清々しい森の空気に包まれて、軽快な足取りで私はその施設へと向かった。