【短編小説】『ある島の不可能性』第2話

  八

 詩的な謎かけではあったが、明らかなメッセージが一つ読み取れた。とにかく夜に森に行け、ということだ。島に到着したのが正午であったため、八時間ほど待たなければならない。赤ちゃんはすやすやと眠っている。私はとりあえず椅子に座り一息つくことにした。喉が渇いていたので、リュックに入れて持って来た水筒の水を飲み、少しだけ仮眠をとることにした。

  九

 窓から差し込む夕陽に目を覚ました時、赤ちゃんは一人で黙々と腕立て伏せをしていた。「ずいぶん長い間眠っていたな。まぁゆっくりしていくといい」私の方を見ることもなくひたすら腕立て伏せをしながら片手間にそう言った。「なあ、この手紙に書いてある夜って何時のことだと思う?」そう私が聞くと、赤ちゃんはまた腕立て伏せの片手間に答えた。「どうだろう、21時くらいじゃないか?俺はいつも21時に寝る。子供が寝る時間、それが夜なんじゃないか」。

  十

 本棚に置いてあった絵本を読み聞かせて、赤ちゃんを寝かしつけたら、ちょうど21時になっていた。夏だというのに窓の外は真っ暗だった。こんな暗闇の中を深い森に入っていくなんて頭がおかしいとは思ったが、ポケットライトを持って来ていたのでたぶん大丈夫だろうとも思った。どんなに小さくても一つの光さえあれば暗闇を進むことはできる。もちろん光が小さければ暗闇を照らす範囲が狭いから自分がどの方向に向かっているかはわからないのだが。それでもとにかく進むことはできる。

  十一

 小屋の裏はすぐ森の入り口だった。看板があり「TheForest」と英語で書いてあった。つまりこれが森だ。わかりやすい。謎かけの手紙が指し示すからには草を掻き分けて進むタイプの険しい混沌とした森を想像していたがまったくそんなことはなかった。すでに切り開かれた道は、ライトで照らす限り一本道だった。とりあえず100mほど進むと、横の草陰から1匹の鼠が出てきた。

  十二

 「おそれいります。紙とペンを貸していただけませんでしょうか?」鼠は私を見上げながらそう言った。ノートを1枚ちぎり、万年筆を貸してやると、鼠は後ろ足で直立して前足ですらすらと流麗な文字を書いた。「ありがとうございます。こちらをどうぞ」。鼠は私に紙とペンを返すと、4本足でまるで鼠のように素早く草陰へと消えて行った。

  十三

 「光あるうち光の中を歩め」。そう書いてあった。これはトルストイの言葉だろうかと私は思った。光はまだある。手に持ったポケットライト、これがさしあたり今の自分にとっての光だ。単3形アルカリ電池1本で約5時間はもつ。予備の電池を3本持って来ているので、合計20時間は光があるということだ。しかしそう考えてみれば20時間しか光はないのかと私は思った。夜に未知の森を進むのに光は20時間しかもたない。

  十四

 思えば人の人生というものも長いようで短いものだ。日本人の平均寿命は80歳、もっと短い寿命の場合もある。私の持っているポケットライトは暗い森の中で20時間しかもたないが、人の肉体だってせいぜい80年、長寿でも100年しかもたない。「光あるうち光の中を歩め」と言われても、では光とは何なのか、歩くとはいったい何なのか、と私は思ったが、考えても答えがあるタイプの問いではないと判断して、とにかく森の奥へと進むことにした。