【短編小説】『陰影』

 

    一

河川敷沿いのアパートの一階で暮らしていた。朝六時に起き、徒歩五分の工場に向かい、夕方六時まで金属を加工して活字を作るのが仕事であった。社員は自分を含めて五人、みな気の良い五十歳前後の男たちだった。一日の仕事を終えると彼らが晩酌をするために工場の二つ隣にある居酒屋に吸い込まれて行くのを後にして、一人真っ直ぐ家に帰るのであった。時には河川敷に腰を下ろし、淀んだ河の流れの上空で鈍い夕陽が軒並み低い建造物に反射しながら沈み行き、辺り一面を茫漠とした闇に塗り替えていくのをただぼんやりと眺めた。

田村雄二が死んでから二年が過ぎていた。雄二は二十五歳の夏に河川敷で入水自殺をした。雄二は大学の同窓で講義の合間等に最近読んだ本や見た映画について自説を展開し合う仲であった。雄二はいつも小津安二郎の映画について一時間でも二時間でも熱弁を振るい、周りの客に五月蝿そうな視線を向けられていた。

卒業後雄二は東京にある電化製品を扱う会社の広告部に就職し、社会人二年目の春に学生時代から付き合っていた佐藤仁美と結婚した。佐藤仁美については育ちの良さそうな物静かな女性だなという印象しか記憶にない。結婚式で柄にも無く満面の笑顔で幸せそうにしている雄二を覚えている。

アパートは賃料三万の割に意外と広く、風呂がシャワーしかないのを別にすれば比較的住み易く、一階のため小さな庭があるところが気に入っていた。縁側に座り、不規則に庭に並べてある河川敷から拾ってきた小石を見ながら、あの石が地球だとすれば隣の石は月かなどと考えたり、駅前のスーパーで買った安物の将棋の駒を詰将棋の配置に並べたりして過ごすのが好きだった。

活字はみな同じ様に見えるが実際には微妙な違いがある。とはいえその違いは活字を生業とする者がつまらない職人根性で嗅ぎ分ける程度の娯楽でしかなく、世人にとっては何の意味もない代物である。

ほとんど誰の役にも立たない誤差を日々洗練させて行くのが仕事であった。自分では特に面白いとも何とも思ってはいなかったが、それでいて他の職人たちからは若いのに粋な彫りをするねえなどと言われるのであるから不思議であった。活字は応えてくれるから何も難しいことなんてない。ただ金属の声を聞き、それにうまく応えることができればそれでよかった。

    二

小津安二郎の映画は一つも見た事がなかったが、雄二があまりにも細部まで話すので、あえて見る必要がないと思うほど小津安二郎の映画についての知識はあった。

見ないままでいるのもつまらないかも知れない、未だに謎のままである雄二の死の原因について何かわかるかも知れない、と思い立ち、一番有名な作品を観ることにした。

老人がしきりに娘に向かって、お前も早くいい人を見つければよいのになどと言い、娘がひたすら、いい人なんかありはしないわなどと言い返す、というような内容だった。父娘が夕陽に向かって影の様に佇む場面が印象的だった。

八月の半ば、気温三十五度程の真夏の休日、特にすることもなく昼間からアパートを出て日が照り付ける中を河川敷まで歩いた。

きらきらと流れる河の表面には雲一つない青空の映しが印象派の絵画の様に描き出されていた。じりじりと身を焦がす太陽の下で、ふと涼しいそよ風が頬を優しく撫でた。

そよ風が向かう先を見ると、そこには河川敷に架かる五十メートルほどの陸橋があった。

陸橋の下は深い陰になっており、さらさらと流れる河の滑らかな揺らめきも、光を反射して踊る水の飛沫も、みなそこでぱったりと途絶えていた。

    三

目覚めるともう三時だった。布団から上体を起こし窓を開けると、さらさらと霧の様な雨が降っている。庭の草木や小石や背の低い塀の向こうに見える河川敷、その対岸の平坦な街並みも、視界に映るすべてが霧雨に覆われていた。

室内のじっとりと冷たい空気に居ても立っても居られないような気持ちになり、駅前のレンタルビデオ屋まで出掛けることにした。レインコートを羽織り、玄関先に置いてある自転車に乗って、アパートの前の道に出る。アパートの目の前には河川敷があり、そこを一本の細い河道が通っている。

ペダルを速く漕げばそれだけ顔に吹き付ける雨風が強くなる。ペダルをゆっくりと漕げばそれだけ顔に吹き付ける雨風は弱くなるが、それだけ進みも遅い。とはいえ進みが遅くても何も困る事はない。誰も待っていないし、誰も見てなんかいない。

暗灰色の空の下にあるのはただ自分と霧雨だけである。霧雨の方では自分があることを気にしていない。そんな霧雨に包まれながらペダルを漕ぎ進めるほどに、自分の方でもだんだんと自分があることを気にしなくなっていく。

そうして無心になってペダルを漕いでいるうちに、終には世界はすっかり霧雨だけになった。

    四

百メートル程の商店街のちょうど中間辺りに街で唯一のレンタルビデオ屋がある。店先に自転車を停めレインコートを脱いで中に入る。黒い半袖シャツの店員が暇そうに何やら棚を弄っている。レジにいる二十代後半くらいの店員がガシャッガシャッと手際よくケースのセキュリティを外している。

彼らは毎日補給される新作の映画を市販のケースからレンタル用のケースに入れ替えて棚の目線の高さの位置に面陳で並べる。在庫記録から回転率を確認して売上のよくない映画を棚から外す。

一見味気ない機械的な作業をしているかのように見えるが、店員もそれぞれの趣味を持った人間である。棚をよく眺めてみると、一般的な人気がなくても店員にとって個人的に思い入れのある映画が意外な好位置に置かれていたりするものだ。そういうところがいい。統計的に利益効率を高めるだけの機械には思い入れがない。偏りがなくて面白味もない。

面陳されている新作の恋愛映画を手に取ると、パッケージには「恋をすれば傷を負う。いつだって僕らは傷だらけだ」というキャッチコピーが書いてある。そっと棚に戻すと、その隣にゾンビ映画らしきものが棚差しされている。手に取ってみると、パッケージには「怪奇!ゾンビフィッシュの恐怖」と赤いおどろおどろしい血文字でタイトルが書かれており、水着の女性たちが大量のゾンビフィッシュに襲われて逃げ惑っている。

中のケースを抜いてレジへと持って行くと店員は何食わぬ顔でそれをスキャンし、黒いレンタル袋に入れてこちらに手渡した。

    五

ゾンビはすでに死んでいる。死んでいるとは如何なる状態の事を云うのだろう。ゾンビは肉体が動いていても魂がない。物事を判断する理性というものがない。他の人間と話をする事も出来ない。それでは死んでいるとはつまり理性を失っている状態の事だろうか。我があり他がある主観客観の意識を持っていることだろうか。

そうだとすると自分は少なくとも生きてはいる。少なくとも死んではいない。本能的な食欲に脅かされて他の人間の肉を食うために襲いかかる事はない。ううーううーなどと所構わずうめき立てる事もない。相手に伝わる意味のある言葉で他人と話すことができる。出かける時は外行きの服に着替えるし、雨が降っていれば傘を差すなりレインコートを羽織るなりすることができる。ショットガンを持った警官に撃たれることもないし、肉体がぱっかりと割れて臓物と共に寄生体が這い出てくる事もない。

    六

河に沿って来た道を帰る。霧雨は来た時と同じように、小さな街並みを朧げなる空気に包んでいる。それどころか、霧が深くなって行っているようにも感じる。視界を遮る深い靄がかかって、五十メートル先も見通すことが出来ない。靄の中から手足の無い怪物が飛び出して来ても不思議ではない。深い霧に覆われた河の中空に、ゆらゆらと蠢く海洋生物の触手の様な影が見えたようにも感じる。

深い霧の中では意識もまた不確かな靄に包まれて朧げになる。意識というものが後景に退いて、自らの身体の感覚だけが尖鋭化する。靄が深まれば深まる程、その身体は自分のものであるとさえ感じられなくなり、ただ何かの肉体が動いているイメージだけが残る。それでも、自分は生きているだろうか。もし肉体が動いてさえいれば死んでいない事になるのであれば、靄の中を蠢く陰もまた確かに生きている。

常態では説明のつかない、理解しようとさえも思えないものが、確かに生きているという感覚を持って屹然と立ち現れてくる。他人との共謀によって作り上げてきた共通感覚が、在り得ぬものを在り得ぬとする安心の境界が、音も無く静かに、波に砕けて散る浜辺の砂山の様に崩れ落ちる。

    七

朧げな眠りから重い瞼を上げると、いつの間にか深い霧は薄く四方へ拡散し、底に沈んでいた意識が水面に浮上して来るのを感じた。

覚束ない体を少しづつ起こし、周囲を見回してみると、さっきまで乗っていた自転車が何処にも見当たらない。たしかに河川敷であったはずの所には、舗装された小道も、生い茂った草も、建ち並ぶ家屋の群れも、流れていた河さえ無く、その代わりに、淡く暗いピンク色の泥のようなものが、鈍く波打ちながら辺り一面に広がっていた。

前後左右を見渡す限り、一つの人影も見当たらず、ピンク色の泥のような地面の空中には、ゆらゆらと漂う薄紫色の靄があるばかりで、此処が一体何処なのか皆目見当も付かない。余りの異様な光景に為すすべもなく暫く茫然と立ち尽くしていると、前方遥か遠くから何やら人間の声らしきものが微かに聴こえてくることに気付いた。

「ゔぉぉ、ぉぉ、ぉぉぉぉ」

「しゅふぅぅ、ぶぉぅぅぅ」

そんな声だ。いや、声なのかどうかもよく分からない。獣のうめき声と言った方が近い気もするが、それでもやはり人間の声としか思えない。獣と人間の二重音声のような、獣と人間がお互いの領域を侵しあっているようなそんな声が、霧に覆われて見えない前方遠くから鈍くしかし確実に反響してくる。

頭の中では後ろを向いて逃げ出したい気持ちに駆られているのに、身体は無意識のうちに自ずとその声のする方へと向かって、ピンク色の靄を両手でかき分けて、歩き出していた。

    八

大学時代、雄二は口癖のように言っていた。

「人間の想像力なんてたかが知れている。それでも、人間は想像しなければならない」

人間の想像力か、そんなことを考えなくたって、人間は想像するじゃないか、想像力の範囲がどこまで及ぶか考えるより、とりあえず想像できることを想像していればいいじゃないか、などと自分は思っていた。

クリエイティブというものに、いつも違和感を抱いていた。飲み込めない魚の小骨のような、噛みきれないイカの筋のような違和感。とくに、クリエイティブということをわざわざ口にして調子に乗っているような人たちを見ると、黙ってそそくさとそこから逃げ出したい気持ちに駆られた。

人間はあえてクリエイティブであろうとしなくても、自然にクリエイティブになってしまう生き物ではないか。むしろ、あえてクリエイティブではないことをしようと試みる方がセンスがあるやり方だとさえ思っていた。ようするに、人間の自意識というものが、自分は好きではないのかも知れないと思っていた。

自意識は多かれ少なかれ、押し付けがましい。それが最大に他人のためになっている時でさえ、実質は、自分の頭の中身を脳髄やいろんな体液と一緒に他人へとおかまいなしにぶちまけて、自分勝手に悦に浸っていることに違いはない。そういうものを誰もがクリエイティブと呼んで手放しに礼賛する時代に生まれたことについて、誰にも文句を言うことも出来ないし、言ったところで誰も共感してはくれないので、クリエイティブについて考えることは、意識的にしないことにしていた。時間は有限なのだ。

それでも雄二はまるで何かに取り憑かれたかのように、何度も何度もしつこく言い続けていた。

「人間の想像力なんてたかが知れている。それでも、人間は想像しなければならない」

あるいは、雄二は本当に何かに取り憑かれていたのかも知れない。それこそ、人間の想像力の及ばない、何かに。

    九

「ふしゃるぅぅ、ぶぉぁぅぉぁ」

「ぶぉぉぉお、おぅおぁぅうう」

一歩また一歩と、薄紫色の靄をかき分けて進むほど、うめき声は次第に大きく近くなっていく。いったい何なんだ。何故こんなことになっている。何故逃げることができないのか。何故自分の意思とは裏腹にこの足はうめき声のする方へと進んで行くのか。

ままならない身体と事態の不可解さに眉間を寄せ、霞む視界の先を見据えると、そこには一つの人影があった。

いやそれも人なのか分からない。三メートル程はある大きな狼の影のように見える。いや違う、これは人でもなく狼でもなく、そのどちらでもあるもの、いわゆる人狼というものではないかと、ほとんど混乱した意識を振り絞って推測した。

薄紫色の靄が薄くなり、人狼の影がついにその正体を現した時、信じられない事に、それが人狼なんかではないことに気付いた。こちらに背を向けていて、後ろ姿でしか判断する事は出来なかったが、紛れもなくそれは自分が知っている生き物、知っているだけではなく、かつて長い時間を共に過ごした友人であることに間違いはなかった。

それは、雄二だった。

    十

二年前の夏、雄二は死んだ。雄二の妻の仁美さんから突然電話が来て、それを知った。入水自殺だった。ある日突然帰ってこなくなり、仁美さんが警察に捜索願いを出したが見つからず、雄二の務めていた会社の人も、その日の夜九時に退社した雄二を見たきりで、何処に行ったか知らされていた人は誰もいなかった。東京中の所縁のある場所を方々捜しても見つからず、捜索は難航するかに見えたが、その約一ヶ月後、東京ではなく、雄二が生まれて大学まで過ごした街の河川敷に横たわり亡くなっているところを地元の町民によって発見された。他殺の疑いもあったが、会社と自宅を往復するだけの雄二の生活範囲から疑わしい人物は誰もおらず、そのまま自殺と認定されたという。

雄二は誰かに恨まれるような性格でもないし、大学時代から常に危険に敏感で慎重な性格でもあったので、他殺ではないということにはうなづけた。しかし、はたして自殺するような奴でもないはずだった。いつだって雄二は言っていた。まるで自分に言い聞かせるように、静かに、しかし力強い声で。

「想像力がなければ、人間は生きていられない。想像力がなければ、訳も分からないうちに、いつのまにか死んでしまうんだ。それだけはごめんだ」

その時は、笑いながら、何言ってんだよ、などと茶化してみたり、真剣すぎて面白くないよ、などと厳然とした場を緩めるように言い返したりしていた。

雄二が言っていたことが正しかったのだとすれば、雄二は、想像力がなかったせいで死んでしまったとでもいうのだろうか。もしそうだったとして、それが何を意味するのか、具体的に何が起きて、雄二の人生が絶たれてしまったのか、全く見当も付かなかった。

    十一

「おまえは雄二なのか。こんなところで何をしてるんだ。おまえ、死んだんじゃなかったのか」

薄紫色の淡い靄に包まれて、こちらに背を向けてうずくまっているそれに、思わずそう問いかけていた。

「ぶしゅるぅぅぅ、ぶしゅるぅぅぅ」

それは問いかけに答える様子もなく、獣と人間の混ざったうめき声のような音を鳴らすばかりであった。

「おい、なんか言えよ」

もどかしさと空恐ろしさが入り混じった感覚に急かされて、思わずそれの肩を掴み、無理矢理こちらを向かせると、うめき声を発しているとはとても思えないほど冷静で知的な表情をした雄二の顔がこちらを真っ直ぐに見据えた。

一瞬の沈黙が永遠のように感じられた刹那、その雄二の姿をした何かは突然うめき声を止め、はっきりと人間の言葉を話し始めた。

「誰かと思えば君か。俺が心ゆくまま一人の時間を堪能している時に、いつだって無理矢理外の世界に連れ出してしまう奴、そんなのは君以外に誰もいやしない。俺はもちろん雄二だよ。だけど、君の知っている雄二じゃない。君の知っている雄二は二年前に河川敷で確かに死んだ。入水自殺なんてつまらない死に方をしたものだ。俺はそんなみみっちい弱い奴じゃない。雄二という人間のいわば自意識の部分だけが分裂して存在しているのがこの俺さ。そして君にこの俺が見えるということは、つまりそこにいる君も君の知っている君ではなく、君の自意識の部分だけが分裂してそこにそうしているということだ。それにしても、君はやはり強い奴だな。こんな不思議な世界に迷い込んでいながら、混乱して叫び出したり、逃げ惑ったりすることもなく、こうして俺のいるところまで来て、得体の知れないうめき声を出す何かの肩を揺さぶりさえするなんて」

    十二

活字を彫ることと、薄紫色の靄のかかった空間で獣と人間の混ざったうめき声のする方へと近付いて行くことは、ほとんど変わらない。未だ具現化していない物質にこちらから影響を及ぼして、確かな形を形成させることが目的であり、それ以外のことは枝葉に過ぎない瑣末なことだ。

活字を彫る時は、一つの文字を形成するために金属に手を加える。獣と人間の混ざったうめき声を出す生き物に近付いて行く時は、それが何者であるかを判明させるために声をかける。同じことだ。強さも勇気も必要ない。ただ手を動かすだけ。身体を動かすだけだ。

そんな事を思いながら物言わず黙っている間、雄二の自意識の部分が姿を現したそいつは延々と話し続けていた。

「人間の想像力なんてたかが知れている。それでも人間は想像し続けなければならない。君の知っている雄二はそう言っていただろう。それがどういう意味か、君にはわかるかい。想像力は、失われるんだ。ある日突然、ではなく、気付かないうちに少しずつ、朝起きて、支度をして、仕事に出かけて、仕事をして、仕事から帰って、夕飯を食べたり風呂に入ったりして、寝て、そしてまた朝起きて、そうしているうちに、いつのまにか想像力は使われる事なく、少しずつ一つずつ、確実に失われて行くのさ。そうなってしまったら、もはや人間は死んでいるのと同じだ。ただ身体が活動を停止する時を待っているだけと言ってもいい。人間が人間であるのは、生きるための動物的反応、つまり金を稼いだり、家庭を持って子を育てたりすること、のためではない。そんなことは猿でもできる。いや、猿の方がもっと上手くできる。人間が人間であるのは、想像力を使うことができるからだ。想像力を使わない人間は、生きていても、死んでいるのと変わらない。想像力なんて使わなくても構わないと躍起になって慌ただしく日々の生業に精を出してる奴ほど、自分でも気付かないうちに、自分で自分を破壊していっているのさ。いわば癌にかかったのに治療せずに放置しているのと同じだ。そうして、とにかく生きてさえいればそれで偉いんだ、人間として真っ当な生き方をしているんだ、と開き直ってしまったりすれば、もう最期だ。そうやって雄二はある日の夕方ついに、その日まで少しずつ破壊してきた想像力が底を尽き、河川敷でみじめに死んだのさ」

    十三

いつもの雄二だった。雄二はいつだって延々と話しまくる。そうだ、目の前のこの雄二、自意識の部分だけと言っているが、思い返してみれば、まさしく雄二は、いつだって自意識の塊のような奴だった。

自意識の塊のような奴は嫌いだ、クリエイティブをことさら声高に主張する奴は嫌いだ、と思っていたが、あらためてこうして雄二に自意識を延々と展開されてみると、こういうのは嫌いじゃない、自意識の展開は嫌いじゃないと思った。

自意識が嫌いなのではなく、もしかしたらクリエイティブが嫌いなだけなのではないか。そもそもクリエイティブとはいったい何だろう。クリエイティブは自意識ではないのかも知れない。

クリエイティブが自意識ではないのなら、つまりクリエイティブは他意識だ。他人の意識を使って、外側の対象に手を加え、何らかの物事を形成すること。他意識による制作活動が、クリエイティブなのではないかと、想像力について自説を展開する雄二を目の前にしながら、考えた。

クリエイティブは他人の褌で相撲を取る。そう考えると、今までクリエイティブについて抱いていた不信感のような不快感のようなものが頭の中で明確に整理されるように感じた。クリエイティブは他人の褌で相撲を取る。しかし、それこそが人間の活動なのではないか、とも思った。人間は社会生活を営む以上、他人との関係性を築いて行かなければならない。そのためには他意識を取り入れて、他意識のご機嫌を取ってうまく立ち回らなければならない。

金を稼ぐとは他人のご機嫌を取ることだ。人間が社会生活を営む上では、他意識のご機嫌を取るクリエイティブ活動をしなければならない。クリエイティブをことさら声高に主張する奴は、他意識のご機嫌を取って上手く金を稼ぐことを礼賛しているのだ。世の為人の為は、つまり自分の金の為だ。クリエイティブ礼賛はイコールお金礼賛ということだ。

いつだってそうだ。雄二と対面していると、自分の考えが明確に整理される。雄二の断言的な言葉に直面すると、否応無しに自分の考えを整理させられることになる。死んだ後でも、雄二のそういうところは変わらなかった。

    十四

雄二の背中から何本もの触手が生えてくる。それは脳髄のような色と質感をしておりうねうねとのたうちながら四方に伸びていく。腕や脚の毛が人間の体毛から獣のような灰色の毛に変わっていく。耳は針のように尖って、目は黒一色に染まり、歯は胸のあたりまで突き出してくる。身長は三メートル程はあろうかという位に巨大化し、中腰で此方を見下ろすように立っている。

それは恐ろしい形相のはずだったが、不思議な事に何も感じなかった。そんな事よりも兼ねてから抱いていた疑問を雄二に投げかけたい気持ちの方が強かった。

「どうしてそうなってしまったんだ。人間は想像力を使わなければいけないと言っていた君がどうして」

「どうしてかって。そんな事は簡単だ。生きている時の俺は想像力を失ったんだ。だから死んだ。惨めなものさ。大学時代に君と語り合っている時はよかった。君と話していると俺の想像力は次から次へと湧き上がり果てしなく広がったものだ。宇宙の真理なんてものにさえ到達できるかと思えるほどだった」

さっきまで人間の声だった雄二の声は、再び次第に獣と人間の混ざったうめき声のようなものへと変わっていく。

「思い上がりや、傲慢などと他人の目を気にして縮こまる事なんて微塵もなかった。でもそれは続かなかった。大学を卒業して東京に出て、商品を消費者に売り付けるための広告を作り始めてから全てがおかしくなっていった。まるで畑で米を収穫しようとしていたようなものだった。稲を植えても植えても何も収穫されない。そうしているうちに、やがて稲ではなく野菜の種を植えるようになっちまったのさ。広告という職業の土壌に合わせて植えるものを変えるしかなかった」

雄二の顔が真ん中から二つに割れて中から無数の触手が湧き出てくる。腕は腐って剥がれ落ち、ピンク色の泥に沈んで行った。胴体の毛穴という毛穴からは赤黒い体液がどろどろと流れ出ている。

「君は知らないかもしれないが、俺は広告の仕事で、コピーライティングの賞を何度も受賞した。やってみたら、俺は得意だったんだよ、クリエイティブっていうやつが。クリエイティブは軽薄であっても見る人の心に分かりやすく刺さればそれでいいんだ。自分の内面に深く潜って行って、深海の異様な生物と格闘しながら何かの心臓を掴み取って、また水面に浮かび上がって来るような過程は全く必要ないんだ。クリエイティブは徹頭徹尾自分の事なんてどうだっていい。とにかく他人がどう思ってるか、他人が資本主義社会の中で何を動物的に求めているかを分析して端的に表現してやればそれでいいんだ。簡単な仕事さ。金もたくさん稼げる。東京の俺の家はすごかったぞ。赤坂のタワーマンションの上層階で都会の夜景を一望しながらスコッチを飲んだりサティを聴いたりするのは格別なものだ」

雄二の胴体は流れる赤黒い体液とともに崩れ落ちて熱を発しながら蒸発し、残された背中と顔面から湧き出ていた触手だけが、グジュグジュと地面の上でのたうち回っている。

「生活は限りなくシンプルになっていった。シンプルな広告を作って、シンプルに高級マンションに暮らす。シンプルに高級料理店でデートして、シンプルに海外旅行する。そんなシンプルな生活が快適すぎていつしか俺は想像力ってやつを忘れていった。忘れていったというより、嘲笑的に退けるようになっていった。小説家や哲学者など、なんの金にもならない、世の為人の為にならないつまらない物を書く落ちこぼれ連中だと思うようになった。あんなに好きだった映画もそうだった。小津安二郎なんて、観たって暗くなるだけだし時間の無駄だ。それよりは六本木の映画館に行ってポップコーンを食いながらハリウッド製のアクション映画を観た方がシンプルに楽しいしクールだと思うようになった」

    十五

小さな町工場にも夏休みはある。たった五日間でも夏休みは夏休みだ。旅行に行くもよし、家でのんびり過ごすもよし、それぞれが好きなように過ごす五日間。毎日顔を付き合わせている活字から離れて過ごす五日間。

活字と向き合わないのなら、その代わりに何と向き合うのだろう。夏休みに、みんなは何と向き合うのだろう。

今日の河川敷はたしかにいつもの河川敷だ。ピンク色の泥が広がってもいないし、薄紫色の靄が立ち込めてもいない。異様に変貌する雄二もいない。

あれは夢だったのだろうか。

河川敷で目を覚ました時、雄二は消えていた。

乗っていた自転車も、舗装された小道も、生い茂った草も、建ち並ぶ家屋の群れも、流れていた河も、すべてが元通りにそこにあった。

辺り一面を覆っていた霧雨は止み、澄み渡った夜の風が吹いていた。

倒れた自転車を起こし、ダークブルーの夜空にぽつんと浮かぶ淡い満月を見ながら、僕は再びペダルを漕ぎ出した。