陰影 四


        四

ゾンビはすでに死んでいる。死んでいるとは如何なる状態の事を云うのだろう。ゾンビは肉体が動いていても魂がない。物事を判断する理性というものがない。他の人間と話をする事も出来ない。それでは死んでいるとはつまり理性を失っている状態の事だろうか。我があり他がある主観客観の意識を持っていることだろうか。そうだとすると自分は少なくとも生きてはいる。少なくとも死んではいない。本能的な食欲に脅かされて他の人間の肉を食うために襲いかかる事は無い。ううーううーなどと所構わず呻き立てる事も無い。相手に伝わる意味のある言葉で他人と話すことが出来る。出かける時は外行きの服に着替えるし、雨が降っていれば傘を差すなりレインコートを羽織るなりする事が出来る。ショットガンを持った警官に撃たれることもないし、肉体がぱっかりと割れて臓物と共に寄生体が這い出てくる事も無い。

河に沿って来た道を帰る。霧雨は来た時と同じ様に小さな街並みを朧げなる空気に包んでいる。それどころか霧が深くなって行っている様にも感じる。視界を遮る深い靄がかかって、五十メートル先も見通すことが出来ない。靄の中から手足の無い怪物が飛び出して来ても不思議ではない。深い霧に覆われた河の中空に、ゆらゆらと蠢く海洋生物の触手の様な影が見えたようにも感じる。

深い霧の中では意識もまた不確かな靄に包まれて朧げになる。意識というものが後景に退いて、自らの身体の感覚だけが尖鋭化する。靄が深まれば深まる程、その身体は自分のものであるとさえ感じられなくなり、ただ何かの肉体が動いているイメージだけが残る。それでも、自分は生きているだろうか。もし肉体が動いてさえいれば死んでいない事になるのであれば、靄の中を蠢く陰もまた確かに生きている。常態では説明のつかない、理解しようとさえも思えないものが、確かに生きているという感覚を持って屹然と立ち現れてくる。他人との共謀によって作り上げてきた共通感覚が、在り得ぬものを在り得ぬとする安心の領界が、音も無く静かに、波に砕けて散る浜辺の砂山の様に崩れ落ちる。