陰影 一


        一

河川敷沿いのアパートの一階で暮らしていた。朝六時に起き、徒歩五分の工場に向かい、夕方六時まで金属を加工して活字を作るのが仕事であった。社員は自分を含めて五人、みな気の良い五十歳前後の男たちだった。一日の仕事を終えると彼らが晩酌をするために工場の二つ隣にある居酒屋に吸い込まれて行くのを後にして、一人真っ直ぐ家に帰るのであった。時には河川敷に腰を下ろし、淀んだ河の流れの上空で鈍い夕陽が軒並み低い建造物に反射しながら沈み行き辺り一面を茫漠とした闇に塗り替えていくのをただぼんやりと眺めた。

田村雄二が死んでから二年が過ぎていた。雄二は二十五歳の時に河川敷で入水自殺をした。雄二は大学の同窓で講義の合間等に最近読んだ本や見た映画について自説を展開し合う仲であった。雄二はいつも小津安二郎の映画について一時間でも二時間でも熱弁を振るい周りの客に五月蝿そうな視線を向けられていた。

卒業後雄二は東京にある電化製品を扱う会社の広告部に就職し、社会人二年目の五月に学生時代から付き合っていた佐藤仁美と結婚した。佐藤仁美については育ちの良さそうな物静かな女性だなという印象しか記憶にない。結婚式で柄にも無く満面の笑顔で幸せそうにしている雄二を覚えている。

アパートは賃料三万の割に意外と広く、風呂がシャワーしかないのを別にすれば比較的住み易く、一階のため小さな庭があるところが気に入っていた。縁側に座り、不規則に庭に並べてある河川敷から拾ってきた小石を見ながらあの石が地球だとすれば隣の石は月かなどと考えたり、駅前のスーパーで買った安物の将棋の駒を詰将棋の配置に並べたりした。

活字はみな同じ様に見えるが実際には微妙な違いがある。とはいえその違いは活字を生業とする者がつまらない職人根性で嗅ぎ分ける程度の娯楽でしか無く、世人にとっては何の意味もない代物である。ほとんど誰の役にも立たない誤差を自分でも面白くも無く洗練させて行くのが仕事であった。それでいて他の職人たちからは若いのに粋な彫りをするねえなどと言われるのであるから不思議であった。活字は応えてくれるから何も難しいことなんてありはしない。ただ金属の声を聞き、それにうまく応えることさえしていればいいだけだ。

小津安二郎の映画は一つも見た事がなかったが、雄二があまりにも細部まで話すので、あえて見る必要がないと思うほど小津安二郎の映画についての知識はあった。見ないままでいるのもつまらないかも知れない、未だに謎のままである雄二の死の原因について何か手掛かりが掴めるかも知れない、と思い立ち、一番有名な作品を観ることにした。老人がしきりに娘に向かってお前も早くいい人を見つければよいのになどと言い、娘がひたすらいい人なんかありはしないわなどと言い返すというような内容だった。父と娘が夕陽に向かって影のように立っている場面だけが印象に残っている。

八月の半ば、気温三十五度程の真夏休日に特にすることも無く昼間からアパートを出て日が照り付ける中を河川敷まで歩いた。きらきらと流れる河の表面には雲一つない青空の映しが印象派の絵画の様に描き出されていた。

容赦なく身を焦がす太陽の下、ふと涼しいそよ風が頬を優しく撫でた。そよ風が向かう先を見ると、そこには河川敷に架かる五十メートルほどの陸橋があった。陸橋の下は深い陰になっており、さらさらと流れる河の滑らかな揺らめきも、光を反射して踊る水の飛沫も、みなそこで途絶えていた。