何を書くかということについて

夏目漱石の文章における科学や哲学は自然に会話の中に落とし込まれており、学術論文のような読みづらい文体ではない。会話文以外の部分でもつねに学者でないそこらの一般的教養を持った読み手が途中で投げ出さずに読めるように意識して書かれている。漱石の文章は基本的には新聞に掲載されるものであったので、職業文人であるという仕事上の制約として、文章の内容を新聞を読む人の知的レベルに合わせるという配慮は必須であったと言えるだろう。文体が読みやすいからといって内容まで簡易になるかといえばそうでもない。内容の難解さをある程度保ったまま文体だけを読みやすくするのが漱石の手腕だ。

こと文章の内容というものは作家の知的教養の多少や興味関心の方向によって様々ではあるが、いざ小説を読むとなると話が違ってくる。小説は学術の発展に寄与するために書かれるというわけではなく、読む人が読んで楽しむために書かれるのである。楽しいと思えるものは読む人によって千差万別だが、作家は自分自身が楽しみたいことを楽しめるように書くのがよいだろう。作家もまた一人の読む人であって、同じ人間である以上、その作家が自分で楽しむ文章を同様に楽しめる人が他にも必ずいるはずである。