思想

思想が現実を作るということはない。現実は基本的に利害によって作られる。人間は楽をして生きていたいと思う。夕方6時、駅のホームには帰りを急ぐ男女が戦に向かう侍のように群れを成して押し寄せる。目的は名誉ではなく、帰宅してTVを観たり晩酌をしたりすることだ。閉まる電車のドアをかいくぐってすし詰めの電車に揺られてでも1分でも早く家に帰りたいという。それほどまでに家には魅力があるのだろう。家は利害の中心にある。家族のために犠牲にするほどのものは無数にあるということだ。思想にはそれほどまでの魅力はない。思想は囲碁や将棋などのゲームと同じだ。藤井聡太が勝とうが負けようが、そんなことは家庭を守る中年男性の真剣さと比べたらお遊びに過ぎない。現存在の意味などどうでもいい。電車の中を見渡せば疲れ切った顔が無数に確認できる。彼らは真剣だ。有名なスポーツマンの努力など彼らの足元にも及ばない。投資家の金を稼ぐゲームでもない。目の前の現実。思想ではない。家族の健康だ。酒を飲んでTVを観ながらだらだらと無為に過ごすために。彼らは多くのものを進んで犠牲にするだろう。まるで自動人形のように。どこかに死霊術師がいて、彼らをあやつっているのかもしれない。生きながらにして屍。誰かがさらに楽をしているのだ。その誰かは限りなく楽をして、そして死ぬ。何もやらずに。