『勉強の哲学 来るべきバカのために』千葉雅也

1、言語偏重になること

 

勉強は、これまでの「ノリ」から自由になるための自己破壊的な行為。

 

「ノリ」=同調圧力=環境のコード=他者関係

 

有限性とつきあいながら、自由になる。

 

環境のコードは強制的な事態。なんとなくそれを生きてしまっている状態。言語能力とむすびついている。

 

言語それ自体は、行為から切り離して使える。環境のコードに拘束されないことができる。言語の他者性。言語の物質性。

 

ある「ノリ」から「別のノリ」に移動すること。二つの「ノリ」の間で引き裂かれるときに、現実から浮き上がる「器官なき言語」。ただの音としての言語。不透明な物質性を発揮する言語。

 

今の環境とは別の可能性を、言語の力で想像すること。

 

・道具的な言語使用(言語行為、外部目的的)

・玩具的な言語使用(詩、自己目的的)

 

人には苦しい環境の「ノリ」にさえ癒着してしまうマゾヒスティックな面がある。

 

自由になるためには、道具的な言語使用を減らし、玩具的な言語使用を増やす必要がある。それを、言語偏重になること、という。

 

2、アイロニー、ユーモア、ナンセンス

 

・道具的な言語使用=保守的=「ノリ」がいい

・玩具的な言語使用=批判的=「ノリ」がわるい

 

浮いた語り=勉強=自由

 

・「ツッコミ」=「アイロニー」=疑って批判=わざと

・「ボケ」=「ユーモア」=ズレた発言=天然

 

知性と同時にキモくなる増量期から、知性を維持しつつキモさを減らす減量期へ。

 

環境のコードはそもそも不確定で揺らいでいる。

 

⑴最小限の「ツッコミ」意識

⑵「ツッコミ」:コードを疑って批判する

⑶「ボケ」:コードに対してズレようとする

 

そもそも不確定なコードの不確定さをあぶりだすこと。「ナンセンス」にまではいかないほどのほどほどの範囲で。

 

ソクラテスは「アイロニー」によって相手の根拠をしつこく疑い、コードを転覆しようとしたが、「アイロニー」は究極の根拠をなどというものには決して到達できない。言語は、環境に依存した用法でしかない。

 

しかし、それは複数ある。諸言語の旅。

 

「ユーモア」はコードを破壊するのではなく、別の知見をもってきて、コードを拡張させることで、コード変換させる。方向=目的喪失の感覚。

 

・「ユーモア」の過剰:コード変換による脱コード化

・「アイロニー」の過剰:超コード化による脱コード化

 

自己の享楽的なこだわりによって言語を仮固定する「縮減的ユーモア」。

 

3、来るべきバカ

 

自分がどのような環境のコードに合わせているのかを確認する。そしてそれを「問題化」する。

 

身近な問題意識もすべては「大きな構造的問題」のなかにある。それを「抽象的なキーワード」で抽出する。

 

環境の「大きな構造的問題」に「ツッコミ」を入れる。

 

「抽象的なキーワード」はなんらかの「専門分野」にあてはめることができる。「直接的分野」と「間接的分野」。

 

・「アイロニー」的なテーマ出し=「追究型」

・「ユーモア」的なテーマ出し=「連想型」

 

信頼できる情報に基づく比較を、自分なりに引き受けて、仮の結論を出す。 

 

自分なりに考えて比較するというのは、比較を享楽的に「中断」すること。

 

・「中断」:「まあこれだろう」

・「決断」:「決めたんだから、決めたんだ」

 

⑴環境の「ノリ」に合わせる:保守的な有限化

⑵「アイロニー」:決断による有限化

⑶「ユーモア」:比較の中断による有限化

 

「決断」は、比較検討なく、たんに偶然的なものを「真理」としてでっち上げて、絶対的な無根拠=絶対的な根拠状態に陥り、盲目的になり、自由どころか逆に他者への絶対服従となる。

 

決断主義を避けるために、絶対的なものを求めず、複数の他者の存在を認めること。ある結論を仮固定しても、比較を続けること。勉強を継続すること。 

 

勉強を有限化するためには、信頼できる情報を比較するなかで、自分の享楽的なこだわりによって仮固定しつつ、それを絶対化しないこと。

 

享楽的なこだわりとは、自分の「バカ」な部分。それが私たちを行為へとプッシュアップする。

 

来るべき「バカ」は、「変化しつつあるバカさ」で行為する。来るべき「バカ」と、たんに周りの「ノリ」に合わせているだけの「バカ」とは、識別不可能になる。

 

Content

第1章 勉強と言語ーー言語偏重の人になる

勉強とは、自己破壊である

自由になる、可能性の余地を開く

目的、環境のカード、ノリ

自分は環境のノリに乗っ取られている

自分とは、他者によって構築されたものである

言語の他者性、言語的なヴァーチャル・リアリティ

二つのノリがぶつかる狭間から、言語の世界へ

言語の不透明性

道具的/玩具的な言語使用

自分を言語的にバラす

深く勉強するとは、言語偏重の人になることである

第2章 アイロニー、ユーモア、ナンセンス

自由の余地は、「浮いた」語りに宿る

ツッコミ=アイロニーとボケ=ユーモアで思考する

コードの不確定性

わざとの自己ツッコミと自己ボケ

コードの転覆

ナンセンスという第三の極

会話を深めるアイロニー

アイロニーの過剰ーー超コード化による脱コード化

新しい見方を持ち込むユーモア

ユーモアの過剰ーーコード変換による脱コード化

もうひとつのユーモアーー不必要に細かい話

「享楽的こだわり」と「非意味的形態」

アイロニーからユーモアへ

享楽のノリが究極のノリである

名づけの現場面ーー新たに言葉に出会い直す

第3章 決断ではなく中断

現状把握から問題化へ、キーワード出しへ

キーワードを専門分野に当てはめる

発想法としてのアイロニーとユーモア、追求型と連想型

勉強のきりのなさ

考えて比較をする

アイロニーから決断主義

比較の中断

こだわりの変化

欲望年表をつくる

メインの欲望年表ーー千葉雅也の場合

サブの欲望年表

メインの年表とサブの年表をつなげる

来るべきバカへ

第4章 勉強を有限化する技術

専門分野に入門する

読書は完璧にはできない

入門書を読む

教師は有限化の装置である

専門書と一般書

信頼性、学問の世界

読書の技術ーーテクスト内在的に読む

二項対立を把握する

言語のアマ・モードとプロ・モード

ノート術ーー勉強のタイムライン

書く技術ーー横断的に発想する

アウトライナーと有限性

結論

補論

参考文献

あとがき

 

 

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