Frequently Asked Questions

よくあるご質問

『ありそうもないこと』イヴ・ボヌフォワ

 

イヴ・ボヌフォワは言う。概念という哲学の唯一の道具が現実を定義する時、現実は息をしなくなる。哲学は生を捉え損ね、また、死から逃避する。哲学は現実を見て見ぬ振りをしながら、定義に置き換えてごまかし続ける。

 

あの山頂の空気、湖畔の朝に水面に反射する光、遥か彼方にまで続く砂漠、人里離れた墓地の夕暮れの雰囲気ーーそうしたものを哲学の概念が定義したことはない。

 

しかし、哲学以外の何か、たとえば詩や文学などが、そうしたものを定義できたことがあるだろうか?「永遠ーーそれは太陽に溶ける海」(『地獄の季節』アルチュール・ランボー)。

 

ボヌフォワが、現実そのものに到達したいという理想を掲げるのはかまわない。だが、理想に掲げなくとも、私たちはすでに現実そのものを生きているではないか。

 

おそらく、ボヌフォワはいわゆるロマンティストなのだろう。彼自身はリアリストだと自己認識しているかもしれないが。哲学に風景の定義を求めるのも、詩や文学に現実そのものの定義を求めるのも、カテゴリーミステイクだ。

 

むしろ、ボヌフォワはこう問うべきだった。「言語は現実そのものを定義すべきなのか?」と。それでいいではないか。なぜ現実そのものをそれほど高く持ち上げたいのだろうか?

 

現実そのものは美しくない。現実そのものは現実そのもの「でしかない」。哲学や詩や文学は、「でしかない」現実そのものを、言語のヴェールで覆うことによって、知性や美しさを作り出す。

 

ボヌフォワのいう「ありそうもないこと」というのは、現実そのもののことであり、それはありそうもない、どころか、すでに私たちの目の前に実際にある。私たちはその中を生きている。私たちは「ありそうもないこと」ではなく、むしろ「そうあるべきこと」を問わなければならない。