『ロラン・バルト 言語を愛し恐れつづけた批評家』石川美子

f:id:rose_ex:20170205232710j:image

 

ロラン・バルトはなにがしたかったのか?権威主義的なもの、多数派、単一性、そういうものが嫌いだっただろう。たいして繊細なもの、少数派、複数性、そういうものが好きだっただろう。

 

作者の死を持ち出すまでもなく、解釈の多様性の側に立つこと。言葉を権威から解放すること。柔軟で繊細で優美なものにすること。

 

ミシュレプルーストへの愛好がバルトの文章への傾向を物語っている。

 

シーニュというものがあり、それは解釈に開かれている。社交界シーニュ、歴史的出来事のシーニュ

 

シーニュとはつまり解釈のこと。つねに少数派で、複数であるもの。相撲や俳句や皇居もすべて解釈に開かれたシーニュであること。

 

サナトリウムでは1日のうち18時間もベットに横たわっていることさえあった。ミシュレの文章などの気に入った箇所をカードに書き写したりしていた。

 

母を中心とした優しい世界に暮らしてきた。母を失ってからは悲しい喪に服しつづけた。

 

権威の側に立っていたら、繊細で優美なものは見えないし書けない。言葉の単一性にとらわれていたら、魅力的な多様性のあるシーニュの解読はできない。

 

言葉にたいする恐怖と愛。それはそのまま世界にたいする恐怖と愛だ。世界というシーニュを、とらわれることなく多様な解釈に開いていくこと。

 

それは断片的なものや小さなものへのまなざしによっておこなわれる。ひとつのシーニュ、その解釈。気のおもむくままに、とらわれなく。概念の輪郭をぼやけさせること。閉じ込められた概念の檻の鍵を開けてやること。