弱い者にとっての「信仰」とはいったい何か?/マーティン・スコセッシ『沈黙』

f:id:rose_ex:20170220222855j:plain

 

マーティン・スコセッシ監督の『沈黙』を観てきました。窪塚洋介が好きなのでミーハー気分にまかせて観たものの、予想以上に重い感じで観終わった後の余韻がすごい。

日本に布教に行ったフェレイラ神父という偉い神父が消息を絶ったことから、その弟子の二人が彼を探しに日本に行くというお話。いざ日本に着いてみると、日本の片田舎ではキリスト教が変な感じの土着の新興宗教みたいになってたりして戸惑いつつも宣教師二人は対応していく。そうしていくうちに片田舎の信仰リーダーみたいなおじいちゃんとかが大名にばれて信仰をやめずに殺されたりして、結局宣教師も捕まってしまう。消息を絶っていたフェレイラが寺で修行してて宣教師はがっかりするけど、目の前の信徒を苦痛から解放するために宣教師もキリスト教を背教することにする。

背教は踏み絵をするだけで形式的に認められるというイージーな感じ。だけどそれができずに処刑されていく信徒たち。宣教師たち。いまの普通の日本人にはよくわからない感覚。信仰のために死ぬということ。信仰って、苦しいことがいっぱいある人生を生き抜くためにするものなんじゃないのか?っていう単純な疑問を抱く。

真理は、生きたいということであって、特定の信仰形式を遵守することじゃない。生き方の形式は国ごと集団ごとに違う。西欧のカトリック的信仰形式をそのまま日本に適応することはできない。大名はキリスト教を悪だと決めてかかってたけど、それは政治的な熟議の上でのことで、信仰云々によってではなかった。当時の宣教師たちはたんに布教のやりかたをよく考えられていなかったとみることもできるかもと思った。異教というのは主観的な判断にすぎず、民族や国家ごとにそれぞれの正教があって当然で、生きるために普遍的なところを共有し改善していくことができればいいだけなのにそれができない。考えてみれば、不思議なことだ。なぜ、信仰は対立し合うのか?生きるためにがんばることでなぜ力を合わせることができないのか?みんな仲良くするべきだという幼稚園でも教わるようなシンプルな倫理さえ人間は実現することができない。

まあそれはいいとして、イッセー尾形窪塚洋介浅野忠信らの演技はとてもよかった。キャラクターに個性をもたらしている(あとで説明するが、それこそが演技の下手さなのである)。それにくらべるとアンドリュー・ガーフィールドリーアム・ニーソン、アダム・ドライバーらの演技は少し弱い。ほかのだれかでも代用が効く程度の演技だと思った(あとで説明するが、それこそが演技の上手さなのである)。

全編を通してキリスト教宣教師たちはとても弱く描かれている。思想の基盤すら脆くみえる。しかし、その弱さこそが、信仰の強さや普遍性を表しているとも思える。「こんな世の中で、弱い者の居場所はどこにある?」というキチジローの言葉が、強いメッセージとして印象に残った。思想的にも、権力的にも、弱い者。かれらのための「信仰」とは、いったいなんだろうか?

思うに、弱さはルサンチマンではない。ニーチェがそう言うようにキリスト教道徳はルサンチマン的支配の原理だと哲学界隈では周知されているが、おそらく支配と共存とはひとつの実践の言い換えでしかない。ルサンチマンの支配、ではなく、弱さの共存。キリスト教道徳については、そう言うべきではないか?弱さはそのままでは共存の力をもたない。そこで神という絶対的なものが取り入れられる。弱い者も強い者もひとしく従うべき神を想定することで、強い者の一人勝ちではなく弱い者にもまなざしが向けられる共存を実現できるとすること。

『沈黙』では、キリシタンを弾圧する井上の「石女は正妻となることができない」理論がとても真っ当な主張のように見える。しかし、そこでキリシタンと言われている無知蒙昧の民は、結局搾取されているだけだ。宣教師の布教は、一見他国からの侵略のように見えて、その実は支配そのものの解放と読むことができる。それゆえに、支配原理とは相容れない。そういうふうにも言える。仏教思想がキリスト教と対置されて描かれているが、問題は思想の対立にはない。むしろフェレイラ神父が寺で仏教を学ぶことでそうしたように、思想の対立をこえて共存することにある。

そう考えると、ほかの誰でも代用が効くようなリーアム・ニーソンやアダム・ドライバー、アンドリュー・ガーフィールドの演技が逆に説得力をもって見えてくる。弱い者とはまさしくほかの誰でも代用が効く者にほかならない。映画冒頭で映し出されるフェレイラ神父(リーアム・ニーソン)の、拷問に怯えきった表情。それをルサンチマン的な支配の方法だと見るものはいないだろう。いたら恐ろしい。「こんな世の中で、弱い者の居場所はどこにある?」という問いが強く迫ってくるいまだからこそ、わたしたちはもう一度あわれみの積極的な面にまなざしを向けるべきなのではないだろうか。

 

 

沈黙 (新潮文庫)

沈黙 (新潮文庫)