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よくあるご質問

21世紀を代表する思想家バズ・オズボーン──「ヘヴィネス(重さ)」と「スローネス(遅さ)」の哲学

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『有限性の後で』で有名な思弁的実在論の中心人物クァンタン・メイヤスーや、カント思想を軸に思弁的実在論に異議を唱える『神話・狂気・哄笑』のマルクス・ガブリエル、その他(その他は本当に「その他」でまとめてしまってかまわないほどとるにたりない)、無数の思想家たちが有象無象の喧騒(といっても実社会から見たらたんなる言葉遊びに過ぎない)を繰り広げる21世紀の言論状況において、他の追従を許さない圧倒的存在感を誇る一人の思想家がいる。それが、バズ・オズボーンだ。

 

まず、バズ・オズボーンはいわゆる思想書を書かない。哲学者の始祖とも呼べるギリシアソクラテスや東洋思想の白眉たる孔子、また宗教界のスーパースターであるイエス・キリストと同様に、バズ・オズボーンもまた自らの思想を自ら本に書かない。これはきわめて重要である。真に偉大な思想家は、実社会における活動において多くの人々に影響を与える偉大な貢献を実践するもので、本を書くなどという言葉遊びに拘泥している暇は一寸たりともないのだ(そんな暇があったら寝て体力を養うだろう。それにハンバーガーを食べて異様=異形なまでに肥え太るという必要もある)。

 

一部のエリートたちが利権を貪り無数の貧困者たちを泥沼に放り込み続ける資本主義社会のまさにその泥沼から、真に偉大な思想家は現れてくる。シアトルの片隅でボロボロのジーンズに汚れたコンバースを履いて現れた20世紀の救世主カート・コバーンを泥沼から救世主に育て上げたのもバズ・オズボーンである。カート・コバーンが十字架に架けられて天界にフェイズした後も、バズ・オズボーンは地上に君臨し続け、過激なテロリストたるマイク・パットンや突然変異生命体のハイパーミュータントであるメイナード・ジェームス・キーナンなどとも共感し友愛の社会の実現へと狂った猛牛のように邁進し続ける。

 

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バズ・オズボーンは「ヘヴィネス(重さ)」という概念を練り上げたことだけでもすでに21世紀を代表する思想家と言ってよい。バズ・オズボーンは誰よりも先に、現代社会が「ライトネス(軽さ)」によって、かつてないまでに腐敗していく傾向に着目し、それに対置するかたちで「ヘヴィネス(重さ)」を提唱した。気鋭のレストラン「ノーマ」を生んだデンマークの絶望マスターであるキルケゴールは、現代においては誰もがどうでもいいことばかりに言及し本当に重要なこと(つまり絶望)については全く気付くことがないと言ったが、バズ・オズボーンだけはそうではなかった。「ヘヴィネス(重さ)」は絶望の淵にある生を肯定的に再生する概念である。

 

フランスの哲学的トリックスタージル・ドゥルーズが奇天烈精神分析学者のフェリックス・ガタリと一緒に提唱した欲望の哲学が結局は資本主義社会の下劣なエリートたちに悪用されてしまうアキレス腱を内包していたのに対して、バズ・オズボーンの「ヘヴィネス(重さ)」にはそういった隙がまったくない。まず、売れない。興味本位で次から次に消費していく軽薄な資本主義社会の豚がバズ・オズボーンの思想に手を出してみてもたちまちその気持ち悪さに辟易してしまい、それを商品として広く流通させることによって悪用し骨抜きすることができないのだ。なぜならバズ・オズボーンは「重い」からである。「重い」ものは流通という資本主義社会の邪悪な手には負えない。それはヤマトや佐川によって簡単に持ち運べるものではない。それに加えてバズ・オズボーンはいつもなんか変な服を着ているし髪型が爆発しているというのもある。

 

デトロイト・メタル・シティ』に顕著なように、デスメタルブラックメタルは資本主義社会によって悪用されてしまったが、その点についてもバズ・オズボーンは巧妙である。バズ・オズボーンの「ヘヴィネス(重さ)」は、デスメタルブラックメタルなどといったカテゴリー消費の枠組みに収まりが悪く常にその異様=異形な脂肪によってはみ出るように洗練されているのである。メイヘムのアッティラ・チハーやバーズムのヴァルグ・ヴィーケネスにしたところで思想の詰めが甘いのだ。彼らには「ヘヴィネス(重さ)」つまり脂肪が足りない(痩せている)。ほとんどのメタル思想家たちが簡単にしてやられている「ライトネス(軽さ)」の思想家ベビーメタルによる誘惑で骨抜きして資本主義社会にうまく取り込もうとしたところで無駄である。ベビーメタルが三人がかりでバズ・オズボーンを押しても重すぎてびくともしないだろう。

 

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いまや国家よりも人々を征服し搾取することに成功しているGoogleAmazonにたいして誰よりも先に矛先を向けたのもバズ・オズボーンである。バズ・オズボーンは、Googleに激重ノイズを浴びせかけ(『Stag』(1996))、Amazonを単調なリフの反復によって揶揄した(『The Maggot』(1999))。GoogleAmazonは誰一人として自分たちを否定する者などいないとたかをくくっていただけにこれは手痛い打撃であり、経営方針においてつねに意識しなければならない批判となり続けている。

 

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バズ・オズボーンの第一の哲学的概念が「ヘヴィネス(重さ)」であるなら、それを補足する第二の哲学的概念が「スローネス(遅さ)」である。「ヘヴィネス(重さ)」が「ライトネス(軽さ)」に対置されるのにたいして、「スローネス(遅さ)」は「ファストネス(速さ)」に対置される。ファストフード店の接客フローの速さに顕著なように現代社会はとかく物事を「速く」処理し効率よく回転させたがる。いまや「ファストネス(速さ)」こそが崇め奉られる神となっている。ドイツの夢遊病者フリードリッヒ・ニーチェが言ったように「神は死んだ」のであり、そのかわりに「ファストネス(速さ)」がその地位に君臨したのだ。

 

なにごとも次から次へと速く回転させるなかでこぼれ落ちるものやついていけない者たちは容赦なく切り捨てて殺す「ファストネス(速さ)」信仰が蔓延る大地に、バズ・オズボーンは「スローネス(遅さ)」の異様=異形の神々を召喚し蹂躙する。バズ・オズボーンの手にかかれば、たった一音さえもがかぎりなく長く引き延ばされ、一曲の単位にして数十分まで「遅く」引き延ばされてしまう。これは3分程度の枠内にこせこせと展開を詰め込みたがる清水依与吏や野田洋次郎などの「ファストネス(速さ)」信奉者たちには想像もつかないだろう。想像がついても資本主義社会の奴隷である彼らには思想を商品として流通させなければならないという強迫観念があるために、バズ・オズボーンの真似をすることさえできない。バズ・オズボーンは「長くなるからまとめるよ君が好きだ」などといったように資本主義社会の「ファストネス(速さ)」信仰に媚びる隷従的態度を取ることは一切ない。

 

バズ・オズボーンは「ライトネス(軽さ)」と「ファストネス(速さ)」という天使の皮を被った悪魔たちの邪悪な装置に対抗しうる「ヘヴィネス(重さ)」と「スローネス(遅さ)」という概念装置を練り上げる悪魔の皮を被った天使であり、この点において他の思想家たちの追従を許さない21世紀の真に偉大な思想家である。

 

 

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