【要約】『無人島 1953-1968 6 カフカ、セリーヌ、ポンジュの先駆者、ジャン=ジャック・ルソー』ジル・ドゥルーズ

邪悪さの優位

邪悪さは人間社会によって発生するもので、善良さと邪悪さという区別は、ア・プリオリに存在する真実ではなく、人間社会によってア・ポステリオリに作られた虚構の産物だと言う。

ルソーは、邪悪さは人間社会のなかでも、とくに抑圧的な利害関係から発生すると特定する。

抑圧的な利害関係とは、善良であるよりむしろ邪悪であるほうが利益になるような人間関係の構築である。

自然状態の想定

ルソーは、邪悪さの優位に対して善良さを対抗させるために、そうした抑圧的人間関係が構築される以前のものとして、自然状態というものを実験的に想定する。

自然状態は、つかの間の接触を除けば、人間が諸々の事物と関係する状態であり、他の人間と関係する状態ではない。

欲求は人間同士を関係に固定するものではなく、人間を一人の自足したものとして孤立させるものである。

金に動機付けられたブルジョア

現代社会における邪悪は、私たちが「私的人間」でも「市民」でもなく、金に動機付けられる「ブルジョア」になってしまったところに起因する。

ここで人間は、「自足=孤立」した〈自然状態〉から、「欠乏=関係」する〈主従状態〉におちいっている。

美しい魂

しかし「美しい魂」は、そんな最悪の状況においてもなお、自らの優しさと臆病さによって美徳を保つ要素をとりだす。

優しい夢想は、不健康や病さえもユーモアの源泉として活用する。「王の年金受給者になるよりは、むしろ写譜者であること」。

私的人間と市民

自らが邪悪であることに利点があるような小児的主従状態を事物との関係によって払い除ける「私的人間」と、有徳であることにこそ利点があるような形で人間関係を構想する「市民」を、死の淵から甦らせること。

 

   

無人島 1953-1968

無人島 1953-1968