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よくあるご質問

退屈の解決策について2/3 能動的な解決策と受動的な解決策 / 『暇と退屈の倫理学』國分功一郎

 
退屈の解決策として、前回の結論である
 
・「退屈と気晴らしを行ったり来たり」し、「気晴らしを楽しむために訓練する」こと
 
・「現存在の可能性を実現する決断に向かう」こと
 
は、行ったり来たりしたり+訓練したり、決断したり、と、どちらも退屈を解決するために自分から動く能動的な解決策だった。
 
ーーここでちょっと考えてみたところ、〈動物になること〉は、「不法侵入」してくる考えさせるものに「とりさらわれ」ることを「待ち構える」ことだった。これは、前回の結論がどちらも退屈を解決するために自分から動く能動的な解決策だったのに対して、退屈を解決するために自分からは動かない受動的な解決策だといえるだろう。
 
そうすると、
 
退屈に対しては、能動的な解決策と、受動的な解決策がある。
 
と、とりあえずは言えそうだ。
 
そう考えてみると、前回残された問題点にも少し救いの糸が垂れてくるような気がする。
 
つまり、
 
退屈と気晴らしを行ったり来たりしたり、楽しむために訓練したり、現存在の可能性を実現する決断に向かったり、物事に対して心を開いたり、というような能動的な解決策をする気が起きないほどの退屈に陥っている人でも、どこかから突然やって来て、「不法侵入」され、否応なしに「とりさらわれ」るのを「待ち構える」という受動的な解決策ならできるのではないだろうか、ということだ。
 
突然に、否応なしに「とりさらわれ」るだけでいいのだから。
 
すべてがどうでもいいように感じてしまうほど退屈している人は、解決策なんて考えずに、まさしく退屈していればいい。
 
すべてに退屈していながらでも、いつもどこかへ行き、何かをしてさえいれば(この、どこかへ行き、何かをしている、というのが「待ち構える」ということだ)、いつか突然「不法侵入」して来て、自分を否応なしに「とりさらう」何かに出会うだろう。
 
そしてその時、すべてに退屈していた人は〈動物になること〉ができ、退屈は自ずと解決されるだろう。
 
ドゥルーズがそうしたように、毎週、週末には映画館に行く、とかでもいい。
 

結論

軽度な退屈の解決策は、気晴らしを楽しむ訓練をすることである
ーー能動的解決策

重度な退屈の解決策は、現存在の可能性を実現する決断に向かうことである
ーー能動的解決策

深刻な退屈の解決策は、〈動物になること〉つまり、「不法侵入」され「とりさらわれ」ることを「待ち構える」ことである。
ーー受動的解決策
 

 

暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)